「雨後」制作の思い出(福井爽人)
2010.10.06
開催中の「福井爽人 夢・ロマン・そして...」展では当館のコレクションを中心に、福井ロマンの傑作「刻陰」、「想遠」、「雨後」などの院展出品作をはじめ、インドを舞台にした院展三部作「樹下」、「城下」、「恍日」、その他「冬の部屋」「紀行賦」など画家の代表作をそろえた見ごたえのある展観となっています。「雨後」制作の思い出
私は北海道で育ちました。そこの町には遊園地はありませんでした。公園にこわれかけたシーソーやブランコがあるだけでした。はなやかな遊園地は絵本等で想像するだけでした。東京に来て初めて遊園地に行った時、かずかずの色にぬりこめられ生き物のようにうごめく遊園地のありさまは、その頃十代のなかばすぎた私に多少よそよそしい存在でした。知りあいの人がいくつかののりものにのせてくれましたが、もう歓喜の声をあげるほど、私は無邪気でなくなっていました。私にとりまして遊園地は、知らないうちに通りすぎたものとなっておりました。
今年の六月のある日、小学校一年の一人息子をつれて遊園地に写生にまいりました。平日の遊園地は閑散としておりました。観覧車はけだるくまわり、ジェットコースターがときおりりきんだひびき声をあげておりました。息子は家を出る時、母親に私のじゃまをしない様にと言われておりましたので、写生する私のそばにおとなしくついておりました。
おなかがすき、疲れましたので食堂にまいりました。子供は風車のついたお子様ランチが食べたいと言いました。なぜか私は、ラーメンなら食べさせよう、その他はだめだ、と言ってしまいました。「僕は本当はラーメンが一番好きなの」と子供が言い、私はラーメンを二つたのみました。食堂もすいておりました。子供が食べおわる間、私は又、食堂のガラスごしにスケッチをしました。ウエイトレスが、子供に話しかけておりました。
私は子供の手をひき、遊園地をあとにしました。のりものにひとつものせてやらなかったこと、風車のついたお子様ランチを食べさせなかったこと、をすくなからず後悔しながら。遊園地とは子供にも大人にもむなしく淋しい思い出なのです。もし遊園地に詩(うた)があるとしたら静かで淋しい詩でしょう。
私の場合、絵とは形と色で詩を描くことだと考えます。私の絵はまた未熟だと感じます。むだをとりもっと深く真心にせまる仕事をといつも願っております。この絵を好きになってくれた人がいて・・・というお話を今泉さんから聞いた時、私は本当にうれしく思いました。今後も御好意におこたえするような精進をしなくてはと感じております。
昭和五十一年十二月 福井爽人